文学フリマ物語――作者不在の感想にかえて
■むかしむかし
あるところにおじいさんとおばあさんが仲睦まじく暮らしておりました。
けれどもおじさんは無職でした。在宅ワークすら行っていませんでした。
おじいさんの持っている唯一の資格は無線技師の免許だけでした。
高校生でも手に入るそんな資格で糊口を凌いでいけるほど世の中甘くありません。
おじいさんとおばあさんの家は山のふもとにありました。
野山に交じりて竹をとりつつよろずのことに使えればとも思いましたが、
竹林のすぐそばにはダイソーがあり、ある程度のレベルのものはすべて100円で買えました。
二人は若いころに貯蓄したお金を少しずつ崩しながらダイソーで棒つきサラミなどを食べ慎ましい生活を送っていましたが、月々の携帯代や光熱費の支払などでついにそのお金も底をついてしまいました。
困り果てたおじいさんは、おばあさんに一肌脱いでくれと熟女AVの出演をすすめました。
生活費を稼ぐための性商売ですから、おばあさんは乗り気になれません。華やかなりし頃のおばあさんは人妻ジャンル界隈で「歌舞伎町の女王の母親なのではないか?」と騒がれたほどの売れっ子で、それなりにプライドもありましたから、目に見えて落ちぶれた現在の姿を人目にさらすのに抵抗があったのです。
幾度にわたる交渉の末、おじいさんが地面に膝をついて拝み倒すと、ようやく本番なしのソープならばやっても良いとおばあさんは言いました。
翌日からおばあさんは吉原から少し外れた場所にある、昔懐かしトルコ風呂で微々たる金を稼ぎ始めました。
熟女といえど店の中では最年長――むしろ最高齢と表現した方が適切なお年頃でしたから、稼ぎはあまりよくありません。おまけに店を運営している新興マフィアがおばあさんの足元を見て、あり得ないほどの取り分を持っていってしまうので、それこそ馬車馬のように働かなければなりませんでした。
おばあさんが体を張って働いている間、おじいさんはどこかに上手い話が転がっていないかと電脳の海をサーフィンして仕事を探しました。
けれども働き盛りの若者ですら職にあぶれている現代で、還暦を過ぎた自分が手に付ける職と言ったら小遣い程度のシルバー人材派遣サービスくらい。生活費をまかなえるほどの額にはなりません。
おじいさんはたくさん考えました。対人ストレスの激しい人間社会に出ればガラスハートの自分の心はあっけなく粉砕されてしまう。何か人とかかわることの少ない、良い収入を見込める仕事はないものか……。
無職専用の掲示板で知り合った住人たちと意見を交わしながら、おじいさんは思い立ちました。
そうだ! 小説だ! 小説家ほど、楽に一獲千金の見込める仕事はない!
自分に小説が書けないわけがないとおじいさんは思いました。なぜならおじいさんは日本に生まれつき、日本語で会話して日本語で読み書きをしているからです。小説なんて所詮、日本語の集合。ネイティブの自分に書けないわけがないしむしろなぜ他の日本人たちは小説を書かないのか違和感を覚えるくらいです。
小説を出版すれば大金が転がり込む。少ない労働で俺は億万長者になれるんだ、とおじいさんは感動すら覚えました。
ネットを徘徊していると物語の題材などあちこちに転がっています。
それ以前に、小説にはメソッドと言うものがあります。女子高生をガンで殺せばみんな泣きます。凍える冬の夜に小動物を彷徨わせてもみんな泣きます。田舎で暮らす老婆の一人生活を書いてもみんな泣くし、昭和時代の人々の触れ合いを書いてもみんな泣くのです。人が泣く小説は大体、映画化されます。映画化されると版権使用のお金が転がり込んできます。映画で作品の知名度が上がれば当然本の売れ行きも良くなりますし、増刷のかかった分だけ印税が自分の懐に入ります。
映画でなくとも、アニメの原作本として名を馳せる手もあります。何の特技もない高校生男子のまわりに女子高生をはべらせ性交渉までには及ばないチラリズムを描写しまくれば、初心な中学生がよだれを垂らして喜ぶでしょう。思春期少年ビジネスを甘く見てはいけません。
そういうことのすべてをインターネットから教えられたおじいさんは早速、インターネットで公開されている脚本のメソッドを真似ながら、昭和三十年代を舞台に主人公にべた惚れしている美少女達が次々にガンで死ぬ話を書き上げました。
作品を書き上げた次は、出版界に作品を売りこまなければならぬとおじいさんは考えました。
インターネットで検索したところ、小説家になるための王道は各出版社が募集している小説コンテストに応募して賞を取ることだと書いてありましたが、一次選考から最終選考へ審査を終えるまでに半年以上時間を有す会社が大半でした。そのようにわずらわしく面倒なことをしている暇はありません。おじいさんは今すぐに金が欲しいのです。
てっとり早く出版界へ進出するために、出版編集者に直接作品を渡してしまう「持ち込み」という方法があることにおじいさんは気づきました。コンテストの審査をすっ飛ばし、ビジネスライクに作品を売り込むのです。けれども、おじいさんには出版界の大物とコネがありません。そもそもおじいさんはあまり本を読まないタイプの人間でしたので、現存する出版会社の名前すら知りませんでした。
コネもなく金もないおじいさんに唯一残された道は出版社の人間が集まりそうなパーティに忍び込んで編集者に原稿を渡すことでした。
無料で出入りできて本に関するイベントがどこかで開催されていないだろうか、藁にもすがる気持ちであちこち調べ回りますと「文学フリマ」というイベントのページが見つかりました。
聞くところによるとこの「文学フリマ」、アマチュアの文芸家の作品を売り買いする同人誌イベントの一種らしいのですが、お忍びで名のある作家や編集者、文芸評論家などが店を出したり客として会場に紛れ込んだりしているらしいのです。この機会を逃す手はないとおじいさんは思いました。著名人の顔など知りませんが、大体有名な人の周りには黒山の人だかりができるものです。会場へ行ってとにかく人の輪の中心にいる人物の懐に自分の小説本を滑り込ませようとおじいさんは企てました。
十一月初旬、消費者金融から借りた数万円で自作した小さな小説本を持って、おじいさんは東京モノレールへと乗り込みます。
おじいさんの胸は夢と希望に充ち溢れ、曇天の空とは対照的にその顔は晴れ晴れと輝いていました。
執筆:天野蒼